かにゃん まみ 物書き兼絵描きの〜日記や自作を紹介したりするブログ〜

かにゃんまみ という物書きだったり時々絵描いたりする奴の ぼっちなブログです。

月灯りの絆君と永遠に5巻発売されました!

お待たせしました!
ごくごく少数の読者さまのみなさんお待たせしました。
5巻が発売されました。
というかよくぞここまで読んできてくださいました。
ありがとうございます!!
感謝しかありません。

そして怒涛の最終巻!!エピソード3本新作として加えて読み応えたっぷりだと思います。
ここまでずっとついてきてくださったみなさまへの大サービスでもあります。
きっと満足していただけるように夕霧文庫さまとともに頑張ります。

今回も素敵な表紙を描いてくださった尾張屋らんこ先生。
素晴らしいイラストです。ほんとに本当にこのような作品の表紙を手掛けてくださり
心から感謝しております!!

そして改めて本を手に取ってくださったみなさま感謝しています(><*
ありがとうございます(TT*

りゅうちぇるさんの突然の死はあまりにも悲しい……

タレントのりゅうちぇるさんの突然の死は、性別マイノリティに関して特に関心の深い私にはショックな出来事だった。

だいぶ前になるが、性同一性障害というものの存在が印象強く周知されたのは上戸彩が演じる金八先生第六シリーズなのではないだろうか。
もしご存知のない方がいたら是非とも見ていただきたいシーズンである。

あれを見ると色々な感情を持つし、改めて性別とはなんなのだろうか。
性同一性障害とはなんなのだろうかと考えさせられる。

心の性と体の性が同じにならなくなったのは
赤ちゃんがお腹の中で成長する過程で起こるものと言われていた。
他の要因もあるのかもしれないが、自我が女であれば体が男であることは苦痛だろうし、逆もしかり……。

花も色々な色の花があるし、人間だって色々な肌の人がいる。
性同一性障害を知った時から私はそれは花の色などの違いと思えばいいのだろうなとそれくらいなものなのではないだろうかとも思うようになった。
それは性同一性障害に限らずすべてのものに対しても今はそう思っている。

今は昔に比べて知られるようになったものの、全くそれがない時代だったら、当事者の苦悩はどれだけのものだったか。
想像を絶するものだったに違いない。

今の私は過去の私よりも、どんな生き方をしようともその人はその人で色々な個性を認めたいと思う。

そんな風に思うのは自分は過去にふとした拍子にこうあるべきであるという考えに囚われてしまうことで色々な人を傷つけてしまったからだ。

マイノリティはマイノリティという形で社会に浸透しつつある今だからこそ
りゅうちぇるさんのような方の存在は自分はこうだったんだとはっきりと認めて、それは勇気のある行動でそうだったのかそれは大変だったなと思わせた。

ご結婚されていたお相手もそれを認めてパートナーとして生きて行くという流れになっていたのでお相手の方の心の広さにも凄いなと思っていた。

何が原因の自死なのかはわからない……。
私が勝手にマイノリティーに関する事で亡くなったのかなと推測してしまっているのかもしれない……。

自分の生き方を主張した時に周りから受ける風辺りがきつかったのかな
とか……。

でも少なくとも私は自分の生き方を見つけたんだね。ちゃんとカミングアウトして立派だな。
と思っていたので、そんな彼がそのことで周囲から傷つけられていたとしたら、そしてそれが今回の自死に繋がっていたとしたら、とても残念に悲しく思う。

まだまだマイノリティーにはきつい社会かもしれないが、私は徐々に少しづつみんなが覚醒して
自分の生き方を進み、少なくともそれを認めてくれる社会が作られて行くことを切に望んでいる。

関係ない話かもしれないが、先日子供の三者面談で自分の子供が「~(私の子供)さんは本当に男女の差別のない人です」というのを聞いて、誇らしく感じたばかりだった。

時代は動いています確実に……。
私が男尊女卑を感じていた昭和の昔の時代に比べたらずっとずっと望む世界になっている。
だからどうか、みんなも らしさ をなくさないで欲しい……。
どこかできっと理解してくれている人がいるに違いないから。

IQの高い人は30代40代になればなるほど収入が上がるのか?!

という話を先日youtubeひろゆきさんの動画で見ました(^^;
時々というか彼の話はざっくりしていて面白いのでつい聞いてしまうのですが(物事を単純に考えられる)
この話は思わず納得してしまった……。

個人的には私も大学行けるなら行けた方がいいし、新卒カードなるもので就職にも有利になるけれど
その後の働き方具合ではIQの高い人はその大卒カードもなにも関係なく年収が上がるという……。

改めて頭の良さってなんなんだろうなぁとか思ったりもします

で、じゃあお前はどうなんだ?って話ですが、私在宅で仕事してはいるのですが
若い頃とバイト代があまり変わっていません(;´Д`)(扶養控除内に抑えてるというのもあるのですが)

……。まぁたぶんIQ高くないんだろうなぁと。(笑)

でも身近で専門卒業の人が前半と後半での年収の上がり方が凄いことになっている人がいるので
あぁその理論ありえるかも……。
とかも思いました。
あとやっぱり一つの分野をずっとやってる人が強いのかなとかも思う。

というわけでしつこいのですが、私はドット絵の仕事をがんばってみます!(笑)
小説も楽しみながら頑張ります!

ひたひたとじわじわと感じる、重ねる、時の流れ

10代の頃や20代の頃に感じていたこととは全く違う、ある程度年を重ねた時の流れというものは
若い頃はなんてことないよと思っていたことも
想像以上に違う形で、ぁあ……とじわじわとくるのだ。
なので若い頃じゃないとできないことってやろう! と決心してやっておいた方がいいよと思う
後悔するならやっちまったと思うくらいやった方が良いって事

意味わからない?ですよね……;

うーん。ほんとにこれはあくまでも例えなのですが
(反論とかはもちろんあってもいいんだけど)
例えば結婚とか子供を持つこととか

あれこれできない理由はつけられるけど、本能で、いや、自分はそうしたい!!と思ったら
回りが無謀だのなんだのと言われてもやっておいたほうがいい。

要するに自分がこうしたいと思ってあとでやっちまったなと思ったとしても
後からできないことってやった方がいいよってこと
結婚出産で例えると色々場が荒れそうなんですけど;あくまでもこれは例えですからね;(;´Д`)

と思って、未だに私は無謀かなと思ってることを日々やっている。
自分の本能がやりたいと思えたらやっていいと思う。

例え失敗したとしても自分で決めた事ってたぶんきっと後でやっちゃったとか失敗したとしても
どこかすがすがしさを感じるから。

それをやるべきどんどん行こうって本気で自覚するのってほんとじわじわ年を取ってき始めた頃。
あぁ……あの時思い切ってやっといて良かったとか思う。
結構ほんとに好きな事はやれてこれたのかな;
たぶんこれ以上は無理と思うだけの事はやってきたかもしれない……。
まぁもともとへっぽこなのでへっぽこ道でいつも崖っぷち感半端ないんですが。
人に笑われてもいいから爆走した人の勝ちだよ。

それくらい年を重ねるってのは自分が思っていた以上にじわじわと……色々と……くるのです(;´Д`)
キテカラワカルオソロシイ……。
みんな悔いのないように生きようね(><*

最弱メンタルな私がそれでも物書きでい続ける方法。

たぶん今から書くことはとても情けない事だ。
そしてこれからもバリバリやって行く前向きな人には全く関係のない話だ。





私の人生の中で、大抵の事はそこそこ叶ってきたが、これだけは至難の業だった。

それはプロの小説家になること。コンテストや投稿で賞をもらうこと。
でもそれはそろそろ限界を感じてきた。

そもそも小説を書くこと自体が無謀だなというところから始まってるから、仕方ない。

生まれて初めて小説を書き始めた頃、今から20年くらい前の事だ。
書き上げて自信満々に友達に読んでもらったら、内容の感想よりも誤字脱字だらけなのを訂正されて返ってきたというどん尻な経緯の持ち主だった。

それを思ったら作品を完成させかつコンテストや投稿に出せるくらいになれたことがそもそも奇跡なんだろうなぁとか思う。

でも最初は激烈長編になってしまって;
(現在の100回は直したんじゃないだろうかと思える作品『月灯りの絆』)

その後でやっと10万文字程度の小説として完成させることができるようになってきて。
BLっぽくなってきたのは『らせんの恋人ゲーム』から。
この作品がコンテストで中間まで行けて、でも落選したショックでしばらく立ち直れなくて

でもまた立ち直って完成させたのが『君の想いを聞かせて』
でもコンテストで落ちた。

さらに『本当は誰よりもお前を抱きたい』(今思うとこれも書き直したいけど電子書籍で出してしまった)
これもコンテストで落ちた。

腐男子だって恋をする』←この辺りであ、BLっぽさ出てるな。と思いつつ
これもコンテストで落ちた。

『血と降格と抗えないつがい』が今回BRで出して落ちた作品です;
ブラッシュアップしまくったのですが、うーん確かに腐男子の方がBLっぽいというかうーん。
どちらかというとバトル展開に傾いた感じがするかな。

でもBRだったらそういうのもありかなと思ったけど違ってたのかな……。
まぁ今回の作風はBRとは違ったんだろうなと思う事にした。

やっぱりLOVE要素が強い方が最終的にいいのかな??
何が良くて何がいい物なのかもはや全くわからなくなってしまった……。

今私は砂漠の真ん中にいてどれが正解なのか砂漠の中の宝石の粒を探しているようだ。全く正解がわからない。
わからないまま書いたら良くないな。
ブレてしまう。

そしてメンタルがそろそろやばい。
たった数作でなんでメンタルヤバいんだ、この根性なし、自分なんてもう50作は落ちてるわ!!
と思われても仕方ない。

実はBLだけじゃなくて他の作品も数作落ちている経緯があることを付け加えておきます。

その通りなんです、この辺りで自分すげぇ非常に豆腐メンタルだと気づきます。

でも書くことは続けたいしどうするか。
しつこかったけど、コンテストというものはもう潮時なのか。
しつこいのがある意味長所だったのですけど、そのしつこいさんも最近萎えてる。

今心の整理をしているのですよ。(勝手にすれば?という声が聞こえる、怖いよ……怖い……。)

今、夕霧文庫さん用に見直している長編小説『月灯りの絆君と永遠に』は長くて思い通りにならないのが欠点ではあるんですが、割と上手く書けてる気がする……。そりゃ凄い直したからなのかな;
いや、当初の情熱があったからなのか。

今私の心の奥底にあるのは
『この気持ちのような気持ちで小説を書きたい』
今私の一番の願いはそこかな?

そりゃ量産できれば鍛えられるし、きっと上達もできると思うんですけど
ジムみたいにガンガンいけるかというともう心がガス欠を起こしている。

回りで爆走している人を見たり、アゲアゲな人を見てると良い影響どころかどんどん苦しくなってくる。

自分の小説をそれこそ筋を一本通してこう書きたいんだ……。
とブレずに誰かに届けたい。
その環境を整えるために最善なことはなんなのだろうか。

私の心を守りながら書きたい……。
書き続けるにはどう環境を作ればいいのか……。

私はプロの作家になろうとするにはメンタルが弱すぎる。
驚くほど貧弱だ。強い人が羨ましいし、眩しいけど、自分にはもう厳しい。

やればやるほど、重ねて行くほど潰れて行くのがわかる。


さて……。
これからどうしようか……。
でもそのプロ作家になろうという意識と

書くこととは切り離せてきてる。書くことそのものは好きだからだ。
それは捨てなくて良かったかも。何かを創造して絵も描く、字も書く。

結局それだけが残った。

とにかくまた何か作ろう。その先をどうするかは完成してから決める。
完成したものが駄作であろうとなんであろうともうそれは構わない。

自分を鍛えるとか、厳しくするとか、ほんとダメになる。
それをすると創造することが苦しくなって作品が硬くなって、ただただ苦しくて苦しくて、辛いだけでがんじがらめになって何もできなくなる。
全然自分が成長した気持ちになれない……。

それならもう厳しくするのを止めよう。

何も目指さないのがいい。
少し自由な気持ちに戻りたい。

何もいらないから書いていて楽しい感覚に戻りたい。

あの頃の感覚に戻りたい。

じゃないともう一歩も動けない。

神経これから抜くんだと思ったんだけどすでに抜いていたという恐怖。

mami-kanyan.hatenablog.com
この記事をふと見返して見て自分に突っ込みを入れたくなったので書き加えます。

いや、君次の週に神経抜くとか書いてるけど、いやいやいや、もう神経は抜いてあります(;´Д`)

あの激痛の中で神経抜いてたんですよ!!!!!!!
えぇええええぇぇええ。その後通っているのは歯の根の治療なのでした。

話がちょっとあれなんですけど、次の時に歯医者さんに行ったら衛生士さんがしれっと「もう神経は抜けてますからねー」って言った事。
「へ?」って変な声出ちゃいましたよ。

そっかあの激痛の中で神経抜いちゃってたんだ。

で、今ぐりぐりと歯の根の治療をしているのです。< コロナで中断中。

コロナは宇宙外生物な気がする不思議。と毒親という表現や概念はまだまだタブー文化と肌で感じる昨今。

年末年始にコロナに罹り、年末年始とは?と改めて思ったかにゃんです。

コロナって不思議な風邪です;風邪と言っていいのか地球外生物に襲われた気分です。
というか私の場合ですけど熱酷い関節痛酷い食欲しっかりある。
……。ちょっと変ですよね;
宇宙人に体乗っ取られた感じですかね?
未知との生物との遭遇みたいな……。(;´Д`)



ところで毒親という言葉のインパクトが強すぎて、この言葉を使う時に引く人は引くんだろうなぁと思うことが多々あります。

確かに言葉としてはどうかなぁと思うし、親を一方的に責めるのもあれなのかなと思うんですが、自分の価値観とか考え方を洗脳から解くという意味では結構役に立つ言葉なんじゃないかなぁと思います。

親の事で悩んでいる人がいるとしたら、一番効果的なのはやっぱりその元凶となる親から離れる事が一番いいです。
簡単に言わないでとかいう人がいるんですが、その考え方こそまだ親の呪縛から逃れられてないんですよね。
その感覚も過去の自分にはあったのでわかるのですが私の場合は子供の頃から親に植え付けられた罪悪感というものでした。

この罪悪感というものをセルフカウンセリングや、ちゃんとした毒親専門?のカウンセラーとで取り除いていくと楽になります。

そもそも親に考え方変えてもらいたい とか謝ってもらいたいとか
が間違っているんですよね。

犬は猫になれないんです。

それが理解出来たら、そっか。じゃ苦手な犬から離れたらいいんだって……。

結局自分を変えるのが近道だということが、親の呪縛に捕らわれている間はなかなか気づけないのです;

友達に親に会いたいとか思わないの?と聞かれたのですが、どう考えてもまた同じ展開しか頭の中で繰り返さないんですよね。

犬は犬のままなので。
会っても不快だなと思うことばかりで……。
私ももう目が覚めちゃったんですよね……。

私のできる親孝行というものは終わったかなとあの瞬間(離れようと決心した瞬間)思ったので。

今の自分にぴったりくるのはやはりこのままが最善ですかね。

話さなければ腹も立たないし、別に親は自分の責任で行動して楽しんで生活してくれていれば私がどうこうという気持ちにはならないので、それでお互い楽しく人生過ごせればいいんじゃないかなぁ。

こういうのは誰が正義だとか正しいとかそういう問題でもないので……。
共依存が嫌だなとか、親に感じる罪悪感みたいなのもなくなって

一年前の自分の感覚とはちょっと今は違うなとか。

私の中の犬って
(犬に今は例えているんですが、うーん電柱とかボールとかおはぎとか、鳥とかでもいいです。毒親というと引かれるのならそういう他の例えを使ってみる)

して欲しくない話題をする
コントロールしてこようとする
自分の思うようにならないと暴れるもしくは私が思うように行動しないのを我慢してやってるという上から目線で言う
自分の思うようにこちらが動かないと、将来不幸になるという謎の未来予想をしはじめる
自分が頼んだことなのに、勝手にやったと人のせいにする
自分に責任感がないのでなんでも人のせいにする


関わりたくないので付き合わない。距離を置く。
→平和。


友達もそっか。って言ってくれました。

自分を変えるのはそれはそれで簡単に変われる物でもないんですけど
人を変えるよりは遥かに変化できて、周りも変わってきます。

今は自分の心の声に耳を傾け、素直に従っています。