かにゃん まみ 物書き兼絵描きの〜日記や自作を紹介したりするブログ〜

かにゃんまみ という物書きだったり時々絵描いたりする奴の ぼっちなブログです。

コロナは宇宙外生物な気がする不思議。と毒親という表現や概念はまだまだタブー文化と肌で感じる昨今。

年末年始にコロナに罹り、年末年始とは?と改めて思ったかにゃんです。

コロナって不思議な風邪です;風邪と言っていいのか地球外生物に襲われた気分です。
というか私の場合ですけど熱酷い関節痛酷い食欲しっかりある。
……。ちょっと変ですよね;
宇宙人に体乗っ取られた感じですかね?
未知との生物との遭遇みたいな……。(;´Д`)



ところで毒親という言葉のインパクトが強すぎて、この言葉を使う時に引く人は引くんだろうなぁと思うことが多々あります。

確かに言葉としてはどうかなぁと思うし、親を一方的に責めるのもあれなのかなと思うんですが、自分の価値観とか考え方を洗脳から解くという意味では結構役に立つ言葉なんじゃないかなぁと思います。

親の事で悩んでいる人がいるとしたら、一番効果的なのはやっぱりその元凶となる親から離れる事が一番いいです。
簡単に言わないでとかいう人がいるんですが、その考え方こそまだ親の呪縛から逃れられてないんですよね。
その感覚も過去の自分にはあったのでわかるのですが私の場合は子供の頃から親に植え付けられた罪悪感というものでした。

この罪悪感というものをセルフカウンセリングや、ちゃんとした毒親専門?のカウンセラーとで取り除いていくと楽になります。

そもそも親に考え方変えてもらいたい とか謝ってもらいたいとか
が間違っているんですよね。

犬は猫になれないんです。

それが理解出来たら、そっか。じゃ苦手な犬から離れたらいいんだって……。

結局自分を変えるのが近道だということが、親の呪縛に捕らわれている間はなかなか気づけないのです;

友達に親に会いたいとか思わないの?と聞かれたのですが、どう考えてもまた同じ展開しか頭の中で繰り返さないんですよね。

犬は犬のままなので。
会っても不快だなと思うことばかりで……。
私ももう目が覚めちゃったんですよね……。

私のできる親孝行というものは終わったかなとあの瞬間(離れようと決心した瞬間)思ったので。

今の自分にぴったりくるのはやはりこのままが最善ですかね。

話さなければ腹も立たないし、別に親は自分の責任で行動して楽しんで生活してくれていれば私がどうこうという気持ちにはならないので、それでお互い楽しく人生過ごせればいいんじゃないかなぁ。

こういうのは誰が正義だとか正しいとかそういう問題でもないので……。
共依存が嫌だなとか、親に感じる罪悪感みたいなのもなくなって

一年前の自分の感覚とはちょっと今は違うなとか。

私の中の犬って
(犬に今は例えているんですが、うーん電柱とかボールとかおはぎとか、鳥とかでもいいです。毒親というと引かれるのならそういう他の例えを使ってみる)

して欲しくない話題をする
コントロールしてこようとする
自分の思うようにならないと暴れるもしくは私が思うように行動しないのを我慢してやってるという上から目線で言う
自分の思うようにこちらが動かないと、将来不幸になるという謎の未来予想をしはじめる
自分が頼んだことなのに、勝手にやったと人のせいにする
自分に責任感がないのでなんでも人のせいにする


関わりたくないので付き合わない。距離を置く。
→平和。


友達もそっか。って言ってくれました。

自分を変えるのはそれはそれで簡単に変われる物でもないんですけど
人を変えるよりは遥かに変化できて、周りも変わってきます。

今は自分の心の声に耳を傾け、素直に従っています。