少子化に関して日々感じることはもちろんある。
もちろん子供が持てなかった人を責めてるわけでもない。
ただ、最近目に余ることが多くなったので書いてみたい。
少しでも子供のことに触れる発言をすると、烈火のごとくキレる人たちについて。
これらの暴徒は私たち子育てしている人間がまるで子供がいない人を人間扱いしていないかのように暴走して怒る。
最初に書いておきたい。
誰もそんなこと思ってない。
中にはそういう人もいるのかもしれない。
でも少なくとも私は思ってない。
何故そう思うのかはまた別の機会に書くとして……。
つい最近とある作家が子供のニュースを見て子供がいない時といる時の子供の悲惨なニュースの捉え方が全然違うというような記事を書いていて、それにかみつく人がいた。
そしてそれらの人たちが共通して使う言葉が以下の事である。
『子供が持てなかった、望んていたのに産めなかった人に対して失礼じゃないですか?』
待って欲しい。誰も望んで産めなかった人に対して物申しているわけではない。
ぶっちゃけ欠片もその発言の時にその小説家の人は その人たちの事 を頭に過らなかったと思う。
人は発言する時にどうしても今自分がある状況に近い感覚で感想を言うものだ。
それらは受け取る側がその人の家族構成やら経緯やらをある程度察して推し量るものではないのだろうか。
平等とはそういうものではないだろうか。
まず大前提に何もその人たちに向かって嫌味ぽくなど発言していないということなのだ。それが嫌味に感じるのは受け取る側が発信する側よりも そう思っている。
ということではないだろうか?
むしろその方が差別だと感じる。
差別だと感じる人の心の中にその差別は存在していると思う。